セッション3「日本を地域から変える!」

パネリストステージ写真  コーディネータ
  増田寛也  岩手県知事
  竹中ナミ  プロップ・ステーション理事長
 パネリスト
  浅野史郎  宮城県知事
  北川正恭  三重県知事
  太田房江  大阪府知事
  木村良樹  和歌山県知事

竹中 あっという間に2日間が過ぎてしまったような気がしますが、いよいよファイナルステージ「セッション3」です。
このチャレンジド・ジャパン・フォーラム(CJF)では毎回、全国各地にこういう活動を広げていこうということで、地域のリーダーの皆さん、知事の皆さんに集まっていただいてのセッションで締めるというのが恒例になっています。
 今回は、タイトルが「日本を地域から変える!」。日本を自分たち自身の力で変えていこうという強い志、高い志を持たれた知事の皆さんばかりにお集まりをいただいて、非常に刺激的な最後のセッションになるのではないかと思っています。
 それでは、まず、私と一緒にコーディネータをしていただきます増田さんからも一言お願いいたします。
増田 どうぞよろしくお願いします。私は、このCJFには浅野知事さんに誘っていただきまして、第5回目から出ています。第5回目が宮城であって、第6回目は東京。そして、第7回目が、今日おいでになっている北川知事さんのところ、三重県の志摩でした。
 私としては以前から、岩手の皆さんにも一度、生で、この会のいろいろな話を聞いていただきたいと思っていました。それが今回実現できて、たいへん嬉しく、また、意義のあることだと思っています。
 今、壇上には私を含めて5人の知事がいますが、宮城県の浅野さんと三重県の北川さんは既にもう自分のところでCJFを開催した知事さん。大阪府の太田さんと和歌山県の木村さんは、昨年お声をかけたんですが、ちょっと事情があって参加できませんでしたので、今回が初めてです。
 実は、この5人のうち太田さんと木村さんと私の3人は、同学年なんですよ。
竹中 あっ、そうなんですか。何年のお生まれか、お聞きしてもいいですか。
木村 ぼくが昭和27年の1月。こちらが26年の‥‥。
太田 6月です。
増田 ぼくが12月。だから、今年はみんな50歳の大台に‥‥。
木村 ぼくはまだ48ですけどね〈笑〉。
増田 ですから、私たちにとって浅野さんと北川さんは、やや年輩の‥‥(笑)。「やや」ですけどね。こういう皆さんから、各地域のいろいろな取り組みをお聞かせいただきたいと思っています。

21世紀の福祉の方向を見つけた

竹中 このCJFは、チャレンジド自らの手で理想郷を作るという高い目標、ミッションを掲げて開催してきました。今までどちらかというと何々できない人に手を差し伸べる、という救済型の福祉だったものを、そうではなく、その人の中に眠っている力を引き出す、という自立支援型の福祉に転換しようということが、最大のテーマです。
 ですから、一言ずつ自己紹介と併せて、こうしたテーマに対する個人的なお考え、そして、わが県ではこのような取り組みをやっているということがあれば、それも加えていただいて、まず一巡していただきましょう。
 では、木村さんから,お願いいたします。
木村知事の写真木村 和歌山県の知事をしている木村と言います。今日、この会に呼んでいただいたことを、ぼくはものすごく嬉しいことだと思っています。なぜかというと、この会に出ることになって、ぼくはちょっと福祉のことを勉強しました。いや、「ちょっと勉強した」なんて言ったらいかん、普段から勉強しているんだけれども〈笑〉。実は、ぼくは福祉に非常に関心があったんです。
 今、日本の国が非常に高齢化が進んできている。その中で、たとえば障害のある子どもさんを持っている親御さんなどは、自分たちも歳を取っていくので、子どもさんの行く末をすごく心配をしておられるだろう。ぼくは行政の長だから、何かをしなければならない。そう思ったわけです。
 だけど、今までの気の毒な人やから何かをしてあげないかんな、というような発想の延長からは、何も出てこないような気がして、正直に言ってもどかしい気持ちがあったんです。それで若干、福祉から目をそらすようなところがあったのではないかと、反省しているんです。
 そういう中で、今回この会にお招きいただいて、竹中さんがお書きになっているものを事前に読んだんです。その中には、こういうことが書いてありました。
 障害があっても働きたいと思っている人が力一杯働けるような社会にしなければならない。そして、働くということで社会貢献できない人も、尊厳を持って生きることのできる日本でならなければならない。行政は、単に補助をして助けてあげるという感覚ではなくて、その人たちが自立できるような手助けをしなければならない。
 そういうことを再三再四、いろいろなところで書かれているのを読んで、ぼくは感動しました。そして、この方向だなと。この方向こそ、21世紀の福祉のあるべき姿じゃないかなと、そういう感じがものすごくしました。
 だから、ぼくは今日の勉強の成果もふまえて、これからの和歌山県の福祉のことをいろいろと考えていきたいと思っています。岩手県のレベルまで一気に行けるかどうかわからないけど。
 そしてまた、そういうことをこのフォーラムのために気づいたアホな知事が一人おった、だから成果があったんだと思っていただけるかなと思って、今日、喜んで来たという次第です。
竹中 ありがとうございます。

大阪では「行政の福祉化」が根付いて来ている

竹中 木村さん、今聞いていると和歌山弁ちゃいますね。大阪弁ですか?
木村 関西弁ですね。世界の言葉〈笑〉。
竹中 そうですか(笑)。ありがとうございます。
 次はバリバリの大阪弁を聞かせていただけるかと思いますけど、でも東京でのお仕事も長かったですよねぇ、太田さん。
太田 そうなんです。だいたい25年東京におりましたんで。関西弁は木村ハンに負けマンネン(笑)。
竹中 負けまんねんか(笑)。
太田 この程度だったら皆さん、うまいなぁ思わはると思いますけども、これ関西ですと、とっても下手ですので、やめときます。
竹中 わかりました。それでは、しゃべりやすい感じで。
太田知事の写真太田 はい。私は25年間、今の経済産業省という職場におりまして、要するに働く場を作っていくという仕事を一生懸命やってきました。そして、大阪の府知事になりました。
 大阪というところは、やはり大都会で、いろんな人が集まってくる土地ですから、福祉に対してもたいへん意識が高くて、NPOやボランティアもたいへん多い土地です。私はまずそのことに、気がついて感動したんですけども。
 みんなが平等に、みんなが生き甲斐を持って暮らせるまちづくり。いろいろな人がいる中で、そういうことを実現していく、沸き上がるような力がこの土地にはあるなぁと、まず私は感動しました。その力を掘り起こして、いい福祉をやっていこうと思いました。
 私は大阪府庁の人間ですから、あまり大阪府庁の自慢ばかりしてもいけませんけれども、知事になって最初に、いいことやってるなぁ、と思って感心したことがありました。それは「行政の福祉化」ということだったんです。
 これは竹中さんもご存知と思うんですけれども、福祉はただ単に健康福祉部ですとか、そういう福祉行政がやるだけでは、本当の自立支援になりません。福祉行政だけではなくて、産業行政、それから住宅、教育、あらゆる場が連携をしてやってかないと、本当の福祉になりません。
 それで行政の福祉化ということを、大阪府は私が行った時にはすでに始めていたんです。素晴らしいことだなぁと思って、その後、全体を連携させる中心になる就労支援課という課を作りました。
 それからもう一つ。福祉はずーっと福祉に関わる人ばかりでやるのではなく、行政の福祉の視点を、みんながいろいろな仕事の中で持つように、兼務をさせるようにしました。たとえば、福祉にいる人が商工労働部を兼務したり、商工にいる人も福祉を兼務したりするようにしました。
 私は、そういうことで行政の福祉化が、今、大阪府の中で根付き始めていること、それがだんだん企業にも広がっていることを、たいへん誇りに思っています。
 今、これからやろうと思っていることの中心は、竹中さんのところにもご協力いただいているんですけれども、ITを活用した取り組みです。
 ITで人間の持っている能力の差を埋められる可能性が非常に高いということで、竹中さんのところにご協力いただいて、ITを活用して、「社会の福祉化」をどんどん進めていこう。ユニバーサルデザインの世の中を、どんどんITをツールとして広めていこう。そういうことを、これからやろうと思っています。
 もっといろんなことをやっているんですけど、とりあえず、大阪も福祉の町や、ということを皆さんにご紹介して、ご挨拶にしたいと思います。
竹中 ありがとうございます。

三重県ではチャレンジド就労支援組織が立ち上がった

竹中 それでは北川知事、お願いします。
北川 三重県知事の北川正恭でございます。こんにちは。去年、三重県の志摩で、このCJFを開催をさせていただいたところ、朝突然欠席になった太田さんを除いて、多くの方にご来県をいただいて〈笑〉、本当にありがとうございました。
太田 ごめんなさい。
北川 風邪ひいたと言って来ないんで、みんなで文句言ったんですけど(笑)。今年は来て良かったです。
太田 本当に良かったです。
竹中 2年越しの恋が実りました〈笑〉。
北側知事と聴衆の写真北川 そう〈笑〉。そういう知事がCJFに任意で寄って来ているんですが、従来ですと県の企画部長あたりがいろんな計画を立てて、段取りをつけてやっていたと思うんです。浅野さんを一番先にしゃべらそうかなぁとか〈笑〉、大阪が大きいから太田さんかなぁと、そういう順序だとか席順を、難儀して決めていたと思うんです。
 でも、このCJFではそんなことは一切なしで、ナミねぇの独断と偏見で勝手に決めるわけですから、まさにバリアフリーが始まっていると〈笑〉、こういうことになります。
 今朝ほど、岩手県のことを勉強させていただきました。やっぱりすごいなぁと思うところがいっぱいありました。悪いところは見せるわけありませんから当然ですが〈笑〉。いや、でも、本当にこれはいいな、と思うものがありまして、これはぜひ、政策としていただいて帰ろうかなと。これも、バリアフリーということになろうと思います。
 太田さんが府庁の仕事の福祉化ということをおっしゃいましたが、私どもも率先実行でいこうと、たとえば全員が車椅子に乗ろうということで、現在ほとんど全員が乗りました。そういうことから初めて見えてくるものがありますから、そういうことから始めていきました。
 そして、プロップの皆さんにもたいへんお世話になりまして、「障害をお持ちの皆さん方もチャレンジドとして納税者に」ということで、そのための障害者のITサポートセンターとして、サテライトオフィスを1ヶ所四日市のショッピングセンターの中に設けました。今現在、3ヶ所増やそうとしているところです。
 たいへんありがたいのは、県が主体でやるのではなしに、NPOの皆さんを始め関係いただく皆さん方が、一生懸命やっていただいていることです。試行錯誤はあるけれども、自分たちでやっていこうと。それを県がサポートするという形で進めさせていただいています。
 今日もお邪魔させていただいていますが、あの岡本くんという若い職員が担当してやっています。どうぞ、皆さんもお話をしていただきたいと思います。あの茶髪にしている男です。県の職員です。髪の毛は長いし茶髪だし、昔なら即クビなんですが〈笑〉、ちょっとここまで(職員を正面に招く)。県の職員もバリアフリー化していますから、こんな奴がいるということを、ちょっと見ていただこうと。
竹中 はい、駆け足。
太田 男前ですね。
北川 ほとんど県の職員か何かわからなくなっていますが、そうなったほうが、本当に仕事がしやすくなるんです。非効率な団体に補助金を出すのが仕事だったのをやめて、みんなで一緒にやっていこう。誰もチャレンジしたことがないことだから失敗があるのは当たり前と考えて、前へ向かっていこう。岡本くんには、そういう形で仕事をしてもらっています。失敗ばっかりで困っておりますが〈笑〉。
 しかし、とうとう「eフォーラム」というチャレンジドの就労支援組織を立ち上げて、サテライトオフィスができて、そしてメンバーが寄ってきた。これは、私は本当にすごいことだと思っております。ですから、私どもも彼を一生懸命後押しをして、みんなでノーマライゼーションの社会に向かっていけたらなと思っています。今日はよろしくお願いします。
竹中 ありがとうございます。今、北川さんからお話があった三重県の「eフォーラム」というのは、県、地元企業、NPO、研究者、チャレンジドといった広いジャンルの人たちが集まって、理事会を立ち上げて、今はまだ任意団体なんですけども、チャレンジドの在宅就業などを進めていこうという組織です。
 何と、このプロジェクトのリーダーが、昨日基調講演でたいへん感動的なお話をしてくださった清原慶子さんです。そして、私もあの末席ながらアドバイザリーという形で関わらせていただいています。もう一ヶ月ぐらい前になりますか、「eフォーラム」の設立総会をさせていただいたところです。

宮城県はバリアフリー国体を終えて、さらに前進

竹中 それでは、引き続きです、浅野知事、お願いします。
浅野 はい。宮城県知事、浅野史郎、54歳でございます。昼間ですねぇ、生まれて初めてわんこそばにチャレンジして、この通行証をもらったんです。これ、100杯以上食べた人なんですよ。
増田 スコアを発表しますけども、浅野さんは113杯。太田さんが41杯でしたね。
太田 歳の数だけ‥‥。ちゃうか(笑)。
増田 ちょっと嘘がありましたね。それから、北川さんも、わりと小食で43杯なんですよ。それから木村さん。木村さんはなんと63杯。実は、木村さんにはやせ薬の泣ける話があるんですが、それは次回にしたいと思います。それから、私は83杯でした。浅野さんがダントツの113杯でございます。
浅野知事の写真浅野 トップだから偉いんでしょう? 偉いんだけど、なんか馬鹿にされているような気もするんですけども‥‥〈笑〉。
 実は、私はこのメンバーの中では一番先輩になるわけです。このCJFは、第4回の神戸大会の時に初めて参加して、非常に感動しました。私にとってカルチャーショックで、ぜひ次回をわが宮城で、とお願いして仙台で開いて、次も参加しました。
 ところが、前回は出られなかったんですね。北川さんに、来いよ、って言われたんだけど、知事選挙の真っ最中だったんです。私の都合も聞かずに、そういう時に設定してくださった(笑)。それだけがちょっと残念だったんです、本当は皆勤賞をもらうところだったんで。それで、今回、また復帰をいたしました。
 私は厚生省という役所に入って23年7ヶ月いまして、その中で障害福祉の仕事に出会いました。障害福祉課長もやりました。そこでの体験から、これはもう私にとってのライフワークだと思いました。
 実は、その課長のポストには1年9ヶ月しかいられなかったんですけども、めくるめくような1年9ヶ月を過ごして、その時に知り合ったたくさんの仲間は、今でも私にとって目減りのしない財産だと思っています。ですから、いずれの日か知事は辞めるでしょうが、その時はまたこの世界に戻って来たいと思っています。
 私にとっては、そこでこの世界と出会ってしまった、それが人生を変えたようなものです。それは悪い意味でなくて、非常にいい出会い方をしたなと思っております。そういう中で、このCJFとの出会いもがあったわけです。
 宮城県でやっていることを言いますと、昨年、国体がありました。第56回国民体育大会。まだそんなものをやっているのか、という人もいますけど(笑)、21世紀最初の大会でした。手作り選手で優勝を目指そう、ということで取り組んで、結果的にそれができたんですけども、それともう一つ、バリアフリー国体と銘打って取り組みました。この国体全体をバリアフリーを広める機会にしよう、ということです。
 ワールドカップでも使ったあの宮城スタジアム、270億円もかかったんです。もう使わないから壊してしまえ、というたいへんな暴論もあるんですが、実はあそこはバリアフリーなスタジアム。ワールドカップで使ったスタジアムの中では、バリアフリー化で第1位なんです。
 そういうハード面でのバリアフリーと、それからソフト面でのバリアフリーにも取り組みました。その中で、実は竹中さんのところに協力をしてもらいまして、宮城国体レポートをインターネット上で展開しました。それの運営、企画をプロップ・ステーションにお願いをしました。
 インターネット上で展開する部分は、在宅の障害者の方にやっていただきました。取材に行って、デジタルカメラで写真を撮って、ちょっとした文章をつけるのは、35校の高校生の皆さんにやってもらいました。彼らにとっては、国体ももちろん初めてですけども、障害者と一緒に仕事をしたっていう初めての経験になったわけです。それは、たぶん彼らの人生を変えたんじゃないかなと思っています。
 もう一つ、ちょっと宣伝的に言いますと、9月22日、来月ですが、第2回の「とっておきの音楽祭」が開催されます。仙台市の定禅寺通のけやき並木のところを中心に、ストリートフェスティバルを繰り広げます。
 実は、これとは別に「とっておきの芸術祭」というイベントがあって、92年に大阪で始まったんですけど、わが宮城県でも、もう7年前からやっています。この「とっておきの芸術祭」は、もともとはアメリカで生まれたものです。ケネディ大統領の妹さんが始めたんです。あのジョン・F・ケネディの一番下の妹さんは、実は知的障害者だったんです。もう亡くなったんですが、彼女のためにということで、お姉さんが始めたんですね。
 これは原題、というか英語でいうと「Very Special Arts」と言うんです。それを、大阪の城みさをさんという方が「とっておきの芸術祭」と訳されたんです。
 そういうイベントがあったものですから、今度は仙台で「とっておきの音楽祭」というのを去年から始めたんです。これは、いろいろな障害を持った方が、ものすごく重い方も含めて、ストリートで、みんなの前で、いろんな音楽を展開をするお祭りです。これが昨年やってたいへん好評で、「魂を揺さぶるような経験をみんなで持つことができた」ということなので、第2回をやります。
 盛岡は仙台まで新幹線で一駅です。近いですから、9月22日、定禅寺通のあたりに来られれば、たいへん感動的な体験をすることができるでしょう。
 まだまだ言いたいことはいっぱいあるんですけども、しゃべり過ぎますのでこのくらいにします。もう一回まわってきたら、またお話をしたいと思います。
竹中 はい、わかりました。今、浅野知事がおっしゃった昨年の国体のレポートのお話ですけれども、プロップ・ステーションの在宅のチャレンジド6名が参加しました。そのうち3名が地元宮城の方でした。
 彼らは完全にコンピュータのネットワーク上で打ち合わせをし、連携を取りながら、仕事をさせていただきました。その様子が、あの今ロビーのほうで販売している写真集『チャレンジド』の中にも収録されています。昨年のCJFの様子も収録されていますので、まだご覧になってない方は、ぜひ見ていただければと思います。
浅野 私も写っていますよね。その打ち合わせの時の様子が。
竹中 残念ながら、写っています〈笑〉。いえいえ、とってもハンサムに(笑)。

岩手県でもチャレンジド就業支援事業が始まる

竹中 それでは、増田さん、お願いします。
増田 はい。CJFは最初は非公開でやっていたらしいんですけれども、第3回目からオープンな形でやるようになって、私は第5回目から参加しています。
増田知事の写真 浅野知事さんから、顔出して、と誘われて行ってみたんですが、すごく印象深かったのは、スタッフの皆さんが、みんな仕事でやっている、という感じではなくて、個人の立場でサポートをやっているんですよね。県庁の職員の人たちもずいぶんいたんですが、官も民も隔たりなく、そういう感じで動いているんですね。
 それはたぶん、1日か2日のこういう大会のためだけではなくて、普段から官民一体となって、いろいろな事業が県内各地に展開されていて、そのパワーがそのまま率直に出ているんだろうなと思いました。その次の東京の時は、大都会ですから特にそういう印象はなかったですけど、去年の三重の時がまたそうでした。
 今回も、先ほどお話をされました村田さんはじめ、昨日の夕方のセッションに出ておられた大信田さん、八角さん、高橋さん、そういった人たちが、普段からやっている活動をそのままお話をしておられました。
 また、私は知事になって、福祉関係だけではなく、いろいろな県内の活動の現場に行きますけど、実際の現場というのは実にそのありようが多様化しています。昨日のセッションでも、多様化がキーワードになっていましたが、非常に多様化しているし、障害があっても自分の中に「強さ」というものを持てる人は本当に強くなって来ているなと思います。そうした時代の変遷も感じています。
 知事になって(1995年就任)3、4年ぐらい経ってから、ユニバーサルデザインという言葉を初めて聞きました。最初はその考え方が、バリアフリーとどう違うだろうかとか、なかなか自分の頭の中で整理がつきませんでした。
 先ほど村田さんが端的に言っていましたけど、バリアフリーというのは、高い厚い壁があるのを打ち破ることですね。県の施設も、この間は、障害者だけでなく高齢者や女性も入った「バリア発見隊」に県庁に来てもらって、どう使いにくいかを見てもらいました。その結果、スロープを付けたり、改修したりしました。
 それで、新しく作る県の施設については、最初の段階からそういうことを考えて作るようになりました。ユニバーサルデザインというのは、こういうことなのかと素直に受け入れられるようになっていきました。今年の12月には、ユニバーサルデザインに関する国際的なシンポジウムを盛岡で開くことになっています。こういうものを岩手でも開催できるようになった、ということで、県内の活動の力強さというのを、この頃は随所にあの感じ取ることができてきたなぁと思います。
 このCJFのテーマは「ITでチャレンジドが自立する」ということなんですが、私は「自立」というテーマはすべてに通じると思うんです。昨日も挨拶の際にふれましたけれども、昨今の自治体のあり方にしても「自立」がキーワードです。たとえば、市町村合併の問題も、自治体として自立することができる単位がどの程度の大きさかということで、市町村圏域の適切な範囲が決まってくると思います。
 それから今、県の行政で非常に頭を悩ませている問題として、青森と岩手の県境における大量の産業廃棄物不法投棄の問題があります。これをどう処理するかは、また別に対策を検討しているところですが、あのゴミはほとんど首都圏から持ち込まれているもので、そのことによって自治体はどういう機能を備えていなければいけないのかということを考えさせられます。自分の地域から出したゴミを処理する機能を何も備えないで、ああいう巨大都市が成立していていいんだろうかと。
 東京湾にカジノを作ろう、とか言っている人がいますけれども、カジノを作ることが本当に今必要なのかどうか。それよりも先に、自分たちのものは自分たちで処理できるように、廃棄物処理施設をもっと優先的に作ることが必要ではないかと思います。
 このように、「自立」というキーワードから、ものすごくたくさん考えるべきことが出てくるわけです。
一方でこれまで福祉は何か施しをすること、障害者は何か施しを受ける存在というように、自立からは一番縁遠い世界ととらえられてきたように思います。
 ところが、それが今はそうではなくて、まさしく自立ということで、まったく同じ平面で語られようとしてきている。そのことに非常に感動を覚えます。
 私としては、CJFなどに参加して、いろいろ各県の取り組みを聞くことによって、今年度からチャレンジドの就業支援事業とか、ずいぶん多くの事業を具体的なものとして、しかも「チャレンジド」という言葉を使って、盛り込むことができました。議会の皆さん方にも、そういった考え方が十分理解していただけるようになってきました。
 そういう意味で、これまでこうしたシンポジウムに参加してきたことの成果というものを、私も身をもって感じ取っているところです。
竹中 ありがとうございます。

社会を変えるのは一人一人の“気づき”

竹中 テーマが「日本を地域から変える!」ということなんですが、やはり、実行委員長の村田さんも言っておられましたけど、一人ひとりが変わらなければ全体が変わりっこない。ということは、まず自分がどう変わるかが重要ですよね。
 皆さんも、自分がこういうふうに変わったという瞬間みたいなものをお持ちだと思います。この会は先ほどお話がありましたように、立場を越えて個人として参加していただく会ですので、次のワンクールは、「自分が変わった時」というのをお話しいただけたら嬉しいと思います。
 では、今度は浅野さんから。
浅野知事の写真浅野 そういう話になると、いつも思い出すことがあります。今からもう32年前。私が22歳。大学を出て厚生省に入って、初任者研修がありました。座学だけではなくて、視察に行く機会もありました。今、後付けで言うんですが、その時ほんの半日行ったところが、ある意味で私の人生を変えました。
 それは、重症心身障害児施設です。私はそれまで、重症心身障害児のことはほとんど知らず、会ったこともないという人生を送ってきたんですけども、そこで、動けない、歩けない、しゃべれない、いわば植物人間というような人たちに、まとめて50人ぐらい、ドンと会ったわけです。
 22歳の乙女心、じゃないや(笑)、幼心は激しく動揺しました。最初に会ったのは、視覚的に訴えた水頭症の人です。あの福助のモデルになった病気です。脳脊髄液が流れなくて、頭の中に溜まって、頭囲1メートルなんて状態で、初めて見て、正直えーっ、こういう人も人間としているんだ、とビックリしました。そうしたら、この人はこの施設ではむしろ軽いほうです、って言われて二度ビックリしました。
 その人たちを見ていると、もう何とも言えないような気持ちになって、この人たちはいったい何のために生きているんだろう、というのが率直な疑問として出てくるわけですね。で、その時にそれを見透かしたかのように、そこの施設の職員の人が言いました。
 「あんたたち。この人たちは何にもできないと思うでしょう。そんなことはないんですよ。昨日できなかったことが、今日できるようになるんです。今日できなかったことを明日できるようにするために、私たちは仕事をしているんです」と。
 うーん、何かここに答えのヒントがあるなぁ、と思ったんですが、その答えが出た、つまり言語化できたのは、それから10何年後なんですね。障害福祉課長の時です。今度はプロとして、というのは給料をもらってという意味ですが、プロとして重症心身障害や知的障害の人たちのための仕事をするようになって、あっ、あれは、と、初任者研修のときのことを思いました。
 あの時、何のために生きているのか、というように考えたこと自体が、ひょっとして、私が刷り込まれていた一つの人間観ではないか。人間はこの社会に生まれてきて何か貢献することができて初めて人間として認められる。それが人間の価値だ、という人間観。それを、私は勝手に名前を付けて「貢献重視型人間観」と呼びました。それで考えていくと、重症心身障害児は最も社会に貢献をし難い人たちですから、何のために生きているんだろう、という質問になるんです。
 しかし、今度は、そういうのが人間の価値の基準なんだろうか、と思うわけです。で、逆にそこからボーンと発想が飛んで、この人たちをこの社会の中心に据えたらどういうことになるか、と。そうすると、たとえば教育にも再定義が必要になる。
 何かを一生懸命に教えて、この社会に貢献できる存在にしていく過程のことを「教育」の定義にしていると、重症心身障害児の居場所はないわけですね。重症心身障害児を中心に置くと、教育には別な定義が必要になってくる。それは、先ほど言った、昨日できなかったことを今日できるようにすること、ではないか。その人の能力を最大限に引き出す作業のことを教育と言うのではないか。
 そうすると現在の能力が低いか高いかの問題ではなくて、それをどれだけ高めていくか、引き出すかの問題になります。英語でも「教育」は「エデュケイション」と言いますがこれは、どうも「引き出す」という意味のラテン語が原語ですから、まさに、そこから教育が再定義されていく。そうすると、変な言い方ですけども、重症心身障害児というのは、まさにこの社会において、かけがえのない存在なのではないか。
 というように、障害福祉課長になって一生懸命理屈っぽく考えたりしているうちに、この仕事の魅力にとりつかれてしまったんですね。
 先ほども、木村さんに話したんです。木村さんが村田さんを見て、この人すごいねぇ、面白いねぇー、と感に堪えたような声で言うんで、私は、そんなことないよ。この世界にはこういう人、いっぱいいるんだよ、と。別に村田さんを貶めるわけではなく、そう言ったんです。
 本当にそうなんです。この世界には、ご自身が障害を持っていらしたり、親という立場だったり、施設での職員だったり、いろいろな立場がありますが、こんな人がいるのか、と思うようなきらびやかな人というか、ビックリするような人というか、簡単に言うと魅力的な人が、たくさん、たくさんいるんです。
 私は障害福祉課長の時に、給料をもらいながら、そういう人たちと本当にぶつかって仕事をして、あー、ありがたいな。こんなに給料もらっていいんだろうか。返そうか、と思うぐらいだったんです。返さなかったですが〈笑〉。そのぐらいに、めくるめくような仕事をしてきたということなんです。
 まさに、それが人生を変えたということですね。知事という仕事も、その延長線上にあると。ただ、知事になったらもっとこの仕事ができるかと思ったら、逆で、障害福祉の仕事だけで給料もらっているほうがよっぽど楽だったんですけども。それはともかく、まだこうやって続いています。
 もう一つ、村田さんがおっしゃった「It's up to you」の話。一人ひとりが変わらなければならない、という話。では、どうやったら変われるのか。一言でいうと、それは「気づき」だというふうに気づきました。
 人間は、知識では変わらないんですね。理論では変わらないです。行政からの指導だけでは変わらないです。どこかの場面で(パチンと指を鳴らして)、あっ、そうか!、と、ストンと来るような気づきがあって変わるんだと思います。
 実は、この中の何人かのメンバーも参加したんですが、千葉県で「ユニットケア」という特別養護老人ホームの新しい施設運営の仕方についてのフォーラムがありました。その時の発表の中に、福島県の、これ以下はない、というほど、とんでもなくひどい老人ホームの職員の報告があって、私はそれが非常に印象に残りました。
 女性の職員なんですが、その人は悶々として仕事をしていたそうです。それで、1年前のユニットケアのセミナーで「逆デイサービス」という言葉を聞いた覚えがあって、その逆デイサービスを自分の施設でやってみたんだそうです。
 デイサービスというのは、家から施設に来てもらってサービスを行うんですけど、逆デイサービスというのは、施設に入っている人に町の中に行って半日過ごしてもらうという形のデイサービスなんです。それをやったら、その施設で生ける屍と呼ばれていたおじいちゃんが、メキメキ変わって行ったと。表情が変わって、行動が変わって、それを目の当たりにして、その職員はガーンと、まさに気づいくわけです。そこで彼女は涙を流す。あーっ、何で私はこのことに気がつかなかったんだろう、と。でも気がついて良かった、と。
 途中の経過はともかく、私の心にポーンと飛び込んできたのは、結局、「気づき」ということなんだと。そういう気づきだったんですね。
 その人は、たぶん気づいた瞬間から自分が変わるでしょうし、その施設も変えようとするでしょうし、変わるでしょう。これは、行政からの指導、通知では変わらない。本で読んで、こういうことがあるんだというだけでは変わらない。
 CJFに何度も来られている方はすでに気づいてしまって、ここにいるのかもしれませんけども、今回ここに来てパッと気づいたという人も何人かいると思います。それで自分が変わるんですね。
 その気づきによって、この分野についてだけいえば、障害者観が変わる。実は障害者観が変わるということは、人間観が変わるということですね。一晩寝ると気づくでしょう。そこから、まさに世の中が変わって行くのではないか。
 まあ、それは一般論で言っていますけど、私にとっては22歳のとき、今から32年前にそんなことを感じることがあって、その延長線上にいる私が今この盛岡にいると。
 ということで、いかがでございましょうか。
竹中 ありがとうございます。私も30年前に重症心身の娘を授かって、この子の生きている尊厳って何?という、その一点でここまでやってきて、今は、彼女に育てられてきたなぁ、と思っています。今、そういう重症の子どもたちの話もしていただいて、たいへん嬉しく思いました。

情報公開が官民連携のパワーを生んだ

竹中 それでは北川さん。北川さんがいつ北川さんになったんか。
北川 生まれたときですよ、それは(笑)。
竹中 あっ、そうですか(笑)。
北川 もう私なんか朝令暮改ですから、日々変わっているというか、そういう感じです。それで、県庁も進化する組織というか、学習する組織にしてみたいなと思っているんです。だから、いかに思い込みを打破して、気づかせるかということだと思います。
 いろんな場面場面の集積で今の私があるんだと思います。そうやって変わってきたんだと思いますが。あえて言うなら『行政革命』という本に十数年前に前に出会った時ですね。
 その本によれば、行政はプレイングマネージャーではなしに、アンパイヤに徹するべきではないか。船の櫓を漕ぐのではなしに、舵を取るべきではないか、そうして、いかに民間の皆さん方に能力を発揮していただくかということに徹したほうが、はるかに効果があるんではないかと。
 こういう考え方に出会ったとき、自分が求めてきたのは、これなんだという、ある種の閃きがあったわけです。まだ低い段階での閃きでしたけど、自分は今、それを前提に生懸命磨き上げている過程にあるんだと考えているところでございます。
 で、その本の中で決定的な言葉は、情報をオープンにするということ、情報公開でした。それで、三重県は今、情報公開を一生懸命頑張っているところです。
 情報公開というと、何か隠していたものを、言われたから仕方なしに出すというイメージがあります。そこで、政策決定過程から予算編成過程から全部お見せしよう。言葉としては、「情報公開」から「情報提供」に変えて、現在「情報共有」と言っています。県民の皆さんと私どもが情報を共有し合う、ということでございます。
 そして今後、もう一歩進歩させて、「情報共鳴」、つまり共鳴し合うようにしていこうと考えています。その共鳴し合った和音、感動の輪が広がって行けば、県の職員は半分、予算は半分、仕事は何十倍できると。私はもうそういう時代が来ていると思うし、必ずそうなると思っています。そして、余った職員や予算は、まあ予算のほうは返すことに精一杯で当分余りませんけど、新しい価値創造に向けて行けばいいと思っています。
 とにかく、情報公開を後ろ向きでとらえるのではなしに、前向きにとらえてやっていこうと思っています。
 私は最近、ここに並んでおられる知事さんたちにもたいへんご迷惑をかけたんですが、シャープという会社に、三重県に来てくれたら90億円出しますよ、と言ったんです。和歌山県の木村さんなどは10億円ぐらい出そうと思っていたので、ぼくが勝ったんです(笑)。しかし、一企業に皆さんからいただいた税金を便宜供与するわけですから、それだけでは逮捕です。
 そこで、情報公開です。15年の間、逃げて行ったら返してもらえますよ、とかいろいろな条件は当然ありますが、90億円を払って来ていただくことによって1万2000人の雇用が確保できますよとか、4000億円の売り上げが発生しますよとか、10年間の税収は元になりますよとか、そういう説明責任を果たすことによって初めて、私はその90億円を出せたわけです。
 これが情報非公開の時代ですと、全然できなくなります。ちゃんと説明しないでやったら、便宜供与の一点で私は逮捕されることになります。情報公開の時代は、私が全部さらけ出して、90億はこういう条件でお渡しします。これによって三重県の21世紀のリーディング産業に育て上げましょうよ、と提案する。この良し悪しを判断するのは、あなた方選挙民です、と。間違っているということであれば、私は落選することになります。
 ですから、情報公開はすごいパワーを生むんです。一つ一つ気づきをさせる、あるいはのっぴきならぬ状態において、民が主役で、自立を促すということでやるならば、情報公開は行政革命の一つのキーワードになる、
 そういうことへの気づきを、『行政革命』という本が与えてくれたんですね。自分としても一生懸命追い求めてきたところに、そういう閃きを与えてくれた。あえて言うならば、そういうことかも知れません。
竹中 その本はどなたの著書なんですか。
北川 デビッド・オズボーンとテッド・ゲーブラーという人が書いた本です。翻訳されています。非常に面白い本です。
竹中 こういうことに関心のある方、ぜひ読んでみてください。

現場の人々の力を借りて、企業に「気づき」を促す

竹中 次は太田房江さん、お願いします。
太田知事の写真太田 はい。私は浅野さんのようにパチンと指を鳴らすほど大きな変化は(笑)、まあ、けっこうあるんですけれども(笑)。今日は福祉について語る場ですから、福祉との関連で私が気づいたというか変わった時のことをお話ししようと思います。
 昔、霞ヶ関で働いていた頃に、住宅産業課長というのをやっていたことがあります。その時に、住宅メーカーを初めとしていろいろなお付き合いがありまして、日本の住宅をどうやって作られるのか、ということをいろいろ勉強しました。
 ある時、あるハウスメーカーが奈良県でやっている「納得工房」というところに行きました。そこは、たとえば車椅子を使っておられる方々が料理をする時のシステムキッチンの高さや棚が降りてくる速さはどのくらいがいいか、あるいは妊娠をしている女性がどのぐらいの体の重さで歩いているのか、そういったことを実体験しながら家の中をいろいろめぐれるようになっていて、本当のユニバーサルデザインの家は何なのかということを研究しているところです。
 行ってみると、たとえば、男性の方々は妊婦にはなれないわけですけれども、お腹のところに大きな荷物をつけてみる。あるいはまた、車椅子に自分で乗ってみる。それで料理をしてみるわけですね。
 よく「生活者の視点」という言葉がパッと一言で言われますけれども、生活者の中にはいろいろな方がいる。日本の製造業はこれまで、本当にいろいろな条件を持った生活者の視点を活かして来たのだろうか。私はその「納得工房」というところに行った時、本当にそう感じました。
 障害者の関連で申し上げますと、この前、「障害者起業チャレンジ支援事業」というのをやりました。具体的には講演会でしたけど、実際に障害を持っておられて、自分で業を起こして会社を経営しておられる方々、ベンチャー経営者ですね、そういう方々に来ていただいて、お話をしていただきました。この時、お話を聞いた障害を持っておられる方々から、実際に起業をした障害者の生の声が聞けて良かった。もっとたくさん、そういう人の話を聞きたい、という声を聞きました。
 日本全体でいえば、六百何十万人かの障害者の方々がいらして、22人に1人ぐらいの割合ですから、これは社会的弱者というより、それだけの数の立派な生活者なわけです。ですから、企業であろうと何であろうと、そういう生活者の視点を活かすことが必要なんだということを、強く感じました。
 私自身も、女性ですから、そう見えないかも知れませんが(笑)、女性ということで、さまざまな障害を感じながら仕事をしてきたわけですから、本来そういうことのために仕事をしなきゃいけない立場なんでしょうけれども、ある意味では気づくのが遅すぎたのかもしれません。
 それからもう一つ。大阪府庁に来てから感じたことは、増田知事さんもよくおっしゃっていることですけれども、現場が私たちの力だ、ということですね。これに、本当に強く気づきました。
 大阪で一番苦労すると言いますか、私自身の悩みでもあるのは、たいへん中小企業の比率が高くて、法定の障害者雇用率を達成するのが難しいんです。
 霞ヶ関で産業政策をやっていたときの感想を、正直に申し上げます。これだけ企業が激しく競争している。グローバル・コンペティションと呼ばれて、世界規模でものすごい競争が起こっている。そういう中で、障害の持つ方々を法定の比率だけ雇うということは、たいへんなこと。義務感でやる人はいるかもしれないけれども、本当に心の底からそういう人たちに生き甲斐を持ってもらいたくて雇用する人がいるんだろうか。正直に申し上げて、そう思った時期がありました。
 しかし、実際に大阪府に行って、知的障害者の方々のグループホームに行ったり、あるいは知的障害者の方々と一緒に授産施設でパンを作ったり、いろいろする中で、見方が変わりました。
 そういう場所では、雇用する人と障害を持った人たちが本当にふれあいを感じながら、温かい、優しい物作りをしている。そういう現場に何度も出会って思いましたのは、一つは現場で一生懸命考えている方々の力を借りようということ。それからもう一つは、企業の人たちにも気づいてもらう機会を作ろうということ。私は、この二つは行政がやるべき仕事だろうなと思ったんです。
 今、大阪府でやっておりますことを一つ紹介します。障害を持つ方々が長く働こうとしますと、やはり授産施設から一般就労に変わって行かなければいけません。そこで、今一つやろうと思っておりますのは、NPOの人たちと一緒になって企業の評価基準を作ろうということ。障害者雇用にどのぐらい貢献しているかという評価をできる基準を作って、それを公表していこうと思っているんです。
 これは、ただ単にある企業がこれだけ障害者の方々を雇用していますという評価だけではなくて、障害者雇用に貢献している企業からどのくらい物を買っているかというようなことまで含めて、NPOの方々と一緒に基準を作って公表していこうと思います。これは、最初は私どもとNPOが一緒にやりますけれども、3年ぐらい経ったら、もうNPOの方々にこの事業をお預けしようと思っています。
 企業の方々の気づきの機会を増やすということでは、平成12年度と13年度で「1万社ローラー作戦」をやりました。
 緊急地域雇用特別基金対策事業というものがあったことは、知事さん方はご存知だと思います。これは、2ヶ年度から3ヶ年度に渡って、雇用対策事業として国で基金が積まれて、それを自治体に配っていただいて、それぞれが自主的にいろんな事業やるというものでした。
 そこで、私どもは、障害のある方々を雇ってくださる企業を作ろうということで、実際に障害者の方々がこれだけのことができる、ということを示して回りました。その企業の他の人たちの気づきにつながるかもしれないという期待も含めて、1万社ローラー作戦と銘打って、1万1000社を回りました。
 その結果、500社が受け入れを開拓してくれまして、実就につながった人が200名近くいました。たいへん大きな成果だったと思っています。
 現場の力を借りるということと、多くの方々に気づいていただくということ。これは、やはり中央ではない。おそらく現場を抱えている自治体しかできない。そういうことだったと思います。
 私は企業を相手にする仕事を長くやっていましたけれども、企業の方々にも大いに気づいて欲しいなぁ、と思います。それを、これからも、NPOの力も借りて、やっていきたいに思っております。
竹中 ありがとうございます。

人間の誇りの問題を考えなければ有効な施策はできない

竹中 それでは、木村さん。木村さんの転機をぜひお話しいただきたいと思います。
木村知事とステージ写真木村 転機というほど大したこともないんですが、基本的には人との出会いとか別れの度に変わっていったような気がする。別にお世辞を言うわけではないけど、たとえば知事になってからは、北川知事なんかにお目にかかったことが、やはり一つの大きな転機になっているのではないかと、心から感謝を申し上げているところです。
 今日はちょっと福祉の話と合わせて言わないといかんので、そういう意味で言いますと、実はぼくは小学校4年のときに父親が死にました、それからずっと親一人子一人でやってきました。父親が死んだら急に成績が上がって、グングングーンと秀才になったんですけど(笑)、中学校から高校に行く時に先生に呼ばれて、奨学金をあげる、と言われたんです。先生は、親がいないから、というような言い方をしたんです。
 実は、ぼくは学年で一番だったから、成績のいい子にあげる奨学金だったんです。だけど、親がいないから、職員会議であなたが選ばれた、という言い方をされたので、ぼくとしては、くれるものは喜んでもらっておけば良かったと思うんですけど、そんなものは欲しくない、と言って、もらわなかったんです。
 それは若気というか幼気の至りだとは思うけども、ただ、一寸の虫にも五分の魂で、人間はみんな誇りを持っているんです。だから、可哀想やからお金をあげんねんで、というモノの言い方をされたら、誰だって素直に、ありがとう、という感じにはならないんです。
 福祉だって同じことです。ぼくは、ここに来る前に、和歌山の障害を持っている人と会って勉強してきたんですよ。そしたら、本当にいい人やった。脳性麻痺の女の人なんだけど、自分でNPOを立ち上げて、いろんなことやっている。目を見てたり話したりしたら、もう本当に、こんな素晴らしい人が和歌山におったんか、と思った。ぼくはもう、この人を中心にして、いろいろな活動をしていこうと思っているくらいです。
 その人がこういうことを言いました。たとえば、トイレなんかでも、「障害者用のトイレ」という大きな施設があって、普通の人の施設と離されて置いてある。だけど、自分たちは、そんな別のところですごいものを作ってもらったということになると、逆に入りにくい。特別なことをしてもらわないと使えないという現実問題があるので、同じではダメなんだけど、何かもう少し自然な形にしてもらえないか。そういうことついては、私たちもいろいろ考えて意見を言うから、一緒になって考えて欲しい。
 そういうことを、言ってはったんです。ぼくは、その通りだと思う。自分らだけで独り善がりになって、こういうことしてやったら人が喜ぶだろう、などと思うのは、ぼくはたいへんな思い上がりだと思う。
 和歌山県もそんなにお金がなくてたいへんなんだけれども、たいへんな中で福祉の施策を進めていくときには、一緒にやっていきましょう、ということが必要。NPOの人でも何でもかまいません、一緒にやっていきましょう、という気持ちでやって行かなかったらダメだと思います。
 今までの行政は、100円かけて10円の成果しか上げていないようなものが、非常に多い。これからは、100円のお金で150円の値打ちのあることをしなかったら、本当の行政ではない。ぼくは、このあたりを今後よく考えていかないといかんなと。そして、自立するチャレンジの人たち、という感覚を、県の行政の中にも入れていかないといかんなと思っています。
 今、和歌山県では、「緑の雇用」という施策を一生懸命進めています。この背景としては、京都議定書で森林のCO2を吸収する機能がものすごく大きな意味を持つようになったこと、それから大都市で職を失う人が増えていることがあるんですけど、ぼくが一番大きなことだと思ったのは、人間の誇りの問題なんです。
 先ほど村田さんが、自分は誇りを持って生きて行くんだ、とおっしゃったんですけど、残念ながら日本の国では、今毎年3万人の人が自殺しているんですよ。その人たちは、別に身体に障害を負った人たちではないわけ。そういう人が3万人も死んで行っている。そして、その家族の人たちもいる。
 そういう人たちに、何か仕事の上でのセーフティネットを作れないか。緑の中で仕事をしていただくことができないか。こう思って考えついたのが、「緑の雇用」という施策なんです。
 これも、ある意味では、社会の変化にチャレンジされた方が、これから中山間においてチャレンジをしていくということです。受け入れる側もたいへんなんですよ。やはり、田舎の人は都会の人が来たら嫌がる面もあるので。でも、こちらも、やはり自分たちの地域が良くなるようにチャレンジをしていくわけです。
 だから、これからの社会を変えて行くのはチャレンジなんです。障害のある方々がチャレンジドという感覚でいろんなことをチャレンジして行かれる動きは、そういう一般の人たちのチャレンジに対して大きな力づけになるのではないかと、ぼくは思うんです。ですから、この会でまたいろんなことを触発されて和歌山へも帰りたいと、このように思っています。
竹中 ありがとうございます。

警察も福祉も現場から見なければ解決しない

竹中 それでは、増田さんもぜひ、「私の転機」を。
増田 考えてみると、木村さんも太田さんも、それから浅野さんも、私も含めてみんな、昔は役人をやっていたんですね。悪名高い霞ヶ関で働いていたんです。北川さんも、以前は国会議員として、悪名高い永田町で働いておられた。
増田知事の写真  私は身をもって経験しましたけど、永田町とか霞ヶ関で働いていると、本当に現場が良く見えないんですよね。岐阜の知事さんがよくタコツボと言っています。だから、一生懸命仕事をしているにもかかわらず、とんでもないことを政策としてひねり出すところがあります。
 実は私も、昔、建設省と言っていた役所にいましたが、入って4、5年ぐらい経ったときに千葉県警察本部に出向して、交通指導課長というのを2年間やりました。とても大きな課で100人くらい課員がいて、そこの課長をしました。行事がある時はちゃんと制服を着ましたし、ピストルも持っていました。もうこの時しか撃てないと思ったので、いっぱい撃ちました。いや、本番でじゃないですよ(笑)。練習です。訓練では、白バイにも乗りました。
 そんな中で、強烈に印象に残っていることがあります。
 とにかく、警察は現場がすべて。現場が勝負です。交通事故は基本的には第一線の警察署でやるんですが、死亡ひき逃げ事故にまでなると、なかなか犯人を捕まえるのが難しくなるので、本部長指揮事件というものになって、本部の交通指導課から捜査員が応援に行くんです。
 千葉は死亡交通事故がものすごく多いところで、そんな事件も頻繁にありました。そういう時は、私もどんな夜中でも現場に行って指揮を執りました。立て前は全部なんですが、やはり全部は行けません。でも、かなり出て行きました。
 現場に行きますと、千葉でもやっぱり冬は寒いわけです。明け方なんかは、路面がキラキラと凍り付いています。そういう中で、署員や捜査員が道路に這いつくばって、小さな塗膜片とかライトの破片を探すんですね。寒い中、もう何時間も。
 ほんの零点何ミリの塗膜片でも見つかれば、科学捜査研究所で調べられるんです。顕微鏡で色の塗り方を見ると、車種が何で、何年の何月から何年の何月までに製造された車であるかということが、かなり絞られるんです。ライトの破片でも、同じです。
 ある程度、車種が絞られると、それに該当する所有者がいっぱい登録されていますから、今度は「車当たり」といって、捜査員が車を見に行く。へこんでいないか、血液みたいなものがついていないか。ついていたらルミノール反応を見る。運転していた人に話を聞く。そうやって、一台一台ずっと追いかけていって、犯人を割り出すわけです。
 要は、現場に行って、どんな小さなものでも探し出す。現場から答えを引き出すということなんですね。
 ところが、そういう警察でも、最近話を聞いていますと、「現場に関わる部門よりも中の管理的な部門が重視されて、捜査能力が落ちてきているんじゃないか」などと言われるんですね。どんどん組織が大きくなると、内部的な管理部門が力を持ってくるということがあるんです。
 知事になって一番怖いのは、そういう形で現場から遊離してしまうこと。内部の人間の伝言ゲームみたいなところで物事を判断してはいないかという不安が、いつもあります。だから、できるだけ現場を見に行くようにしています。
 先ほど浅野さんが言っていましたけれども、千葉の方に何人かの知事と一緒に見に行く機会がありました。「ユニットケア」という、いわゆる新型の個室中心の特別養護老人ホーム。これから岩手県内でも各地域で出てくると思いますが、そういうものを千葉で見せてもらって、そこで働いている人たちの生の声を聞かせていただきました。短い時間でしたから、また今度、機会を改めて別のところに見に行こうと思っています。
 ハードを見るだけではなく、そこで働いている人たちの声なども聞くことで、従来型の2、3人の相部屋でやっている特養との本当の違いが、見えてくるのではないかと思っています。
 このように、私の転機は福祉とは関係ない分野ではありましたけれども、現場からものごとを見ていくということが、政策を組み立てていく上でいかに大事かということを、かなり早い段階で経験することができました。いつも、そのあたりの原点に立ち返って、ものごとを見て行きたいと思っています。
 今この会はホテルの一室でやっているわけですが、この中には一番大切ないろいろな現場の感覚を持っている人たちが集まっていますよね。そういう人たちの声が、この盛岡で、岩手で聞けるということが、すごくいいことだと思っています。
 ただ、実をいうと、一番聞いて欲しい人、たとえば市町村の首長さん方とか、そういう人たちが出てこないんですよね。
 介護保険もそうですし、来年から変わる障害者の制度もそうですけど、これからは県というよりも市町村が主体になってやることが増えるわけです。市町村がそれぞれ別個の政策を競い合って、それが新しい国というものの姿を作っていくことになると思うので、市町村の政策を担う方々にどうやって認識してもらうかが、今後の大きな課題かと思っています。
 私としては、千葉県警にいたときのことが、指をパッチンと鳴らすところなのかどうかわかりませんけど(笑)、大きな転機だったという気がします。
竹中 皆さんそれぞれ自分なりの転機や思いみたいなものを持っていらっしゃることが非常によくわかって勉強になりました。

IT教育と雇用開拓の最前線でチャレンジドを活かしたい

竹中 それでは残りの時間、今回のテーマの「日本を地域から変える!」ということに絞って、展開していきたいと思います。
増田 それでは、今回初めて参加をされた太田さんと木村さんのお二人に、もっとしゃべっていただこうかと思います。
 太田さんは先ほど、企業に一番気づいて欲しいんだというお話をされました。実は、岩手県は有効求人倍率が全国で下から2番目か3番目なものですから‥‥。
太田 うちは完全失業率が下から2番目です。
増田 そうですか。とにかく、そういう大変な経済状態の中にいるわけですね。そういう中で、企業にもっと気づいて欲しい、ということで活動されていて、企業の人たちはチャレンジドの就労ということにどんな意識を持っていると感じていますか?
太田  一度関心を持ち始めた人は、けっこう関心を持ってずっとやってくれるし、また、その分野で行政に対してもけっこう積極的に協力してくれます。たた、正直に言って、大多数の企業はなかなか関心を向けてくれません。
 やはり、これだけリストラが進んで、健常者でも大変な時代が続いているわけですから、法定雇用率とか障害者関係のいろんな問題に本当にいい意味で関心を向けてくれる人は少ないですね。
 ただですねぇ、やはり、間を埋めてくれる革新的な技術がどんどん生まれていることも事実だから、いろいろやり方はあると思うんです。
 たとえば、先ほど、企業に対する「1万社ローラー作戦」のお話をしました。「企業さん企業さん、障害者も一生懸命働きますよ、きちんとしたことできますよ」という訴えを、この取り組みでは府庁の人間がやりました。
 今度はそれを障害者自身にやってもらおうと考えています。今やっている雇用対策の中で、障害者の雇用の場は障害者自らが回って掘り起こしていくということをやろうと。これは、相手の気づきを高める効果もあるんじゃないかなと思っています。
 それからもう一つ。今、養護学校の情報化推進をプロップさんにやっていただいているんですけれども、もう一つ、国でずいぶんやりました高齢者を中心にしたIT講習会を、障害者の方々に引き続いてやってもらおうと考えています。
 これはけっこう人数が多いんです。2年間で2000人以上の人を対象にやりました。これも、教える先生を障害者の方々にやってもらっているんですよ。そうすると、教わるほうも、障害者の方々がこれだけ教えられる、これだけのレベルに達しているということを目の当たりにして、ものすごくやる気を起こすんですね。
 先ほどの浅野知事さんの言葉を借りれば、気づきのレベルとチャンスを増やすことが大事だと思うので、仕事を掘り起こすほうもITを教えるほうも、すべて障害当事者がやるということを、状況を変える一つのテコにしたいなと、今思っているんです。
増田 障害者の方々が1万社回るんですか?
太田 「1万社ローラー作戦」は行政がやったもので、障害者が回るのは今度の新しい事業です。
 やはり、障害者の方々にはそれぞれに、適した仕事というものがあるわけですね。作業内容とか、いろいろな面で。ですから、行政が手当たり次第に訪ねて「どうやねん、こうやねん」と言うのではなくて、障害者自らにこういう仕事だったらうまくできる、このあたりのことだったら、むしろ生産性を上げられる、という仕事を選んでもらって、あるいはアイデアを出してもらって、それで企業に行ってもらう。
 行けば、いろいろなバリアがあると思うんですよ、雇用してもらうにはそのバリアをどうやったら取り除くことができるか、トライアル雇用を含めてどういうことをやったらいいかということも考えてもらう。それを今始めています。
 私はけっこう期待を持っています。大阪というのは非常に密度が高くて、中小企業もワッと固まっていて、一つのところが、なかなかよくやるぞ、と言うと、口コミでバーッと広まったりしますのでね。
 そういうわけで、私は障害当事者を、雇用開拓と教育の両方で、大いに活かしていきたいと思っています。
増田 なるほど。先ほど、障害者雇用について企業を評価する基準を、NPOの人たちと一緒に作っていくというお話もありました。これも面白いなと思って聞きました。いろいろ具体的な成果が出てきたら、また勉強させてもらいたいなと思いました。
太田 はい。これは、できるだけNPOの知恵を借りようと思っているんですけども、行政としてやることは検証ですね。やはり公表するだけではなくて、よくやっていただいている、と、あんたは偉い!というのを出そうかなと思っていますけど(笑)。

補助金の奪い合いを生む福祉からの出口が見えた!

増田 さて、和歌山の木村さん。今、和歌山県というと、緑の雇用事業が最大のヒット作というか売りだと思います。
 恐らく対象となるところは、岩手県の中山間地域と同じようなところだと思います。若い人たちがほとんどいなくて、高齢者単独、あるいは老夫婦の世帯が非常に多い地域だと思うんですね。そういうところで緑の雇用事業を始めたのには、国土保全とかいろいろな観点があったと思います。
 しかし、緑の雇用事業を行いながらも、そういう中山間地域特有の福祉政策の難しさもあって、いろいろ頭を悩ませておられるのではないかと思います。そんな中で、どういう形で希望を見出そうとしているかといことを、少しお話しいただけますか。
木村 ぼくは、身体障害を持たれた方なんか、ものすごくいろいろと大変なことが多いと思うんだけど、それに対して癒しのようなもの得られるような仕組みが、あまり今までなかったと思うんです。施設を作ろうとか、いろんなことの中で努力はされてきたと思うんだけど。
 そこで、ぼくは一回、NPOの人たちと協力しながら、中山間地域でお年寄りや身体障害者を持っている方が能力を発揮しながら何かできるような場というものを作っていけたらいいなぁと、ちょっと夢のようなことですけど、考えているんですよ。
 実は、ぼくが福祉について、ちょっとどうかな、と感じるようになったのには、こういうことがあったんです。特別養護老人ホームとかいろいろな福祉や保健の施設をやる人。その中には、もちろん、ものすごく純粋で真面目な気持ちからやる人がいます。しかし、その一方には、お金儲けでやる人もいるんですね。補助金がものすごく来るらしいからやろか、というような感じで。だから、補助金はものすごい取り合いになるんです。
 そういうのを見て、ちょっと変だなぁ、という気持ちになって、福祉に対して後ろ向きになるようなところが、正直に言ってあったんですよ。
 ところが今度、チャレンジドの人がチャレンジするという取り組みを知った。それで、そういう取り組みを、行政として何か差し出がましい形ではなくバックアップをするということに意義を見出すことができたら、ものすごくすっきりした気持ちで、いろんなことができるのではないかと思ったんです。
 今までのいろいろな制度にとらわれずに、県独自で、たとえば今言ったような癒しの場づくりとか、そういうことを考えられるんじゃないかなと。
 今、ちょっと目から鱗が落ちたというな感じがありますね。
太田 もう一個、言っていいですか。
増田 どうぞ。
太田 先ほどの「気づき」という意味で、一つあります。
 大阪は大都市ですから、国際会議がすごく多いんです。今度、OPEC(石油輸出国機構)の会議なんてのもあるんですけど、そのように、けっこう大きな国際会議があります。その時の記念品に、授産施設で作ったものを出そうと思っているんです。
 こういうことをやりますと、けっこう発信力があるんですね。これが障害者の作ったもの? 素晴らしいね、という反響が、大阪だけではなくて世界的に広がっていく。ですから、来月にある会議でも、授産施設で作った湯飲み茶碗を配ろうと思っています。あと、これは、岸和田に「だんじり祭り」という有名なお祭りがあるんですけど、そのお祭りのバンダナです。これも授産施設で作ったものですけど、すごく立派ですよね。
 こういう、あっ、これは普通の企業で作っているものより、もっとすごい。素晴らしい、というものを、もっと多くの人の目につく形でどんどん出して行こうと思っています。これは官公需、つまり私たちが調達する物品を、意識的に障害者が働いているところから買うということです。これも、「気づき」を増やしていく上で、非常に大きな意味があると思います。
増田 なるほど。岩手では国際会議はあまりないんですけど(笑)、今度、ユニバーサルデザインの国際会議がありますので、ちょっと考えておきましょう。どのくらいの人に来ていただけるのか、わかりませんが。
太田 参加する人数の多い少ないはあっても、国際会議となると世界からマスコミが来たりしますよね。そういう力は大きいんじゃないかと。

人口減少時代には、力を結集する“撤退”の戦略を

増田 さて、だんだん時間がなくなってきました。
 ぼくは、先ほどの木村さんの話に関連して、ちょっと暴論かも知れないんですけど、思っていることがあるんです。
 2006年から日本全体で人口が減りはじめるわけです。そうすると、過疎地域では今よりもさらに人口が減っていく。その時、どうするかということです。一人ひとりにとって住み慣れた地域というのは大事ですから、これからもできるだけ維持をしていかなければいけないわけですけれども、その一方で、そろそろ「撤退の哲学」みたいなものも考える必要があるかなと思うんです。
 今、地域で生活していくための基盤整備、公共事業の問題で、たとえば高速道路はもう全国一律の4車線ではなくて、地方では2車線でもいいとか。国道は基本的には2車線ですけども、山間部では1.5車線でもいいとか。地域の実情に合った規格にしていこうという話がありますね。
 また、今度はその地域の問題ですが、人口流出といった社会的な現象という前に、今、自然現象として人が非常に少なくなって、維持できなくなって、結果として、地域が放棄されていくような流れがあります。それを、放棄するのではなくて、力を合わせて地域を作っていくために、集落を統合させていくということを考える必要があるのではないかと思うんです。
 今の時期から20年あるいは30年先を見て、行政が計画的に集落の統合、場合によっては再編成を考えていく。そういう意味での「撤退」を、行政の計画論としてしっかりやっていく必要があるのではないかと思っています。
 岩手県は下水道の普及率も非常に低くて、下から何番目かですし‥‥。三重県がウチの下で、和歌山県が今一番下だったかな。
木村 いや、下から2番目なんで(笑)。
増田 じゃあ、たぶん3番目が三重県ぐらいで、4番目が岩手県ぐらいじゃないかと思うんですけれども。その原因はなぜかというと、広い県土のための配管距離が非常に長いからですね。そういう意味でも、今から計画的に集落の統合ということを考えていったほうがいいのではないかと思います。
 これは捉えようによっては強制移転のように思われてしまうかも知れませんが、そうではなくて、すでに現実問題として始まっているところもあるんですね。奥羽山脈に囲まれた沢内村なんかでは、冬場は雪に閉ざされるので、みんな町のほうに降りて来て、お医者さんもいるところで安心して過ごすという暮らしをしています。そういうことが、これから行政のテーマとして上がってくるのかなと、考えています。
 それだけちょっと付け加えまして、あとは大物の二人が残っておりますので、そちらは竹中さんにお願いしようかと(笑)。

「車イス駐車場に停めません」キャンペーンで連携を

竹中 若手の同級生3人組がかなりお話しになられて、真ん中のお二人からは、そろそろ回って来ないと、もうワシは怒るぞ、と(笑)、そういうようなお顔にも見受けますので、ぜひ、三重から日本をこう変えちゃる、宮城からこう変えちゃる、というところをお聞かせいただきたいと思います。では、北川さんのほうからお願いできますか。
北川 三重県では、環境に優しい商品を県が優先的に発注する「グリーン購入」を、県民の皆さんにもご理解いただいて進めています。そこで今度は、障害を持った方々を納税者に、ということで県がサテライトオフィスを持つ以上は、県もチャレンジャーに対して仕事を発注する、そういうインセンティブ予算を設けようとしています。ご注目をいただけたらありがたいと思います。
北川知事の写真 それから、これはちょっとお願いもあるんですが、つい先日、車椅子利用者の情報誌『チェアウォーカーWaWaWa』編集長の阿部恒世さんたちとお話をして、一般の人が車椅子使用者用の駐車区画に車を停めないようにする大キャンペーンを、三重県でもやろうということになりました。まずはステッカーを貼ろう、と、県の職員から率先してやりました。行政だけではなく、事業者の皆さんやNPOの皆さんとも共同してユニバーサルデザインのまちづくりを進めていくために、これをやろうと思っています。
 三重県では、歌手の中尾ミエさんを起用して「中尾三重県」という観光キャンペーンをやりまして、中尾さんに相撲取りや伊勢エビの格好をしていただいたCMをやりました。あれは知事の趣味ではないんですが(笑)、最初に注目を引こうということで、ああいうものをやりました。
 それで、今年からは、バリアフリー、ユニバーサルデザインの観光地にしていこう、ということで、伊勢志摩の真ん中にある鳥羽にバリアフリーツアーセンターというのを作りました。各旅館、交通、飲食店など、旅行関係のところを全部チェックして、ここはこのようにユニバーサルデザインになっています、というような情報提供をやっています。
 それと平行して、私たちは車椅子の方のための駐車場には停めません、というキャンペーン、「WaWaWaキャンペーン」をやっていこうということです。
 12月3日から9日まで障害者週間でございますので、それに向けてやっていこうと思っています。浅野さんにその「WaWaWaキャンペーン」のことを話したら、「それは俺が先輩だ」と言うので、浅野さんは当然やってくれると思いますが、木村さん、太田さん、よろしく。
太田 それはもう、先輩のおっしゃることは(笑)。
北川 ということで、もう決まったわけでございますが、どうぞ皆さんもご一緒に、21世紀を本当にノーマライゼーションの社会に、ということをご理解いただいて、こうした輪を広げていただきたい、というお願いです。ちょっと勝手なお願いですが、よろしく。
竹中 いえいえ。ありがとうございます。そういうさまざまな運動が、本当に当事者から、あるいは地元から全国に広がって行っているということですね。

統合教育と介護保険の問題も考えて欲しい

竹中 では、浅野さん。
浅野知事の写真浅野 というキャンペーンに最初に署名をした知事が、私でございます。ということを、一応言わなければいけないんですが(笑)。
 真面目にこの会のことですけども、CJFが目指しているものは、私は人間回復の運動だろうと思っています。いろいろな言い方ができると思いますけども、人間としての誇りとか尊厳を回復させるための運動だと思うんですね。
 では、障害を持っている人の人間としての誇りや尊厳っていうのをどうするかという問題、つまり障害者問題に、行政はいったいどう対処してきたかのかというと、私はまともに対処してき得ていないと思います。原因は何かと、この前ちょっと分析をしてみたんですけども、それは一つには、間接統治だから、ということもあるんです。
 先ほど北川さんがおっしゃったように、行政は舵取りであって、自分で船を漕ぐのではない、という部分もありますけども、障害者福祉の分野ではもう少し行政が積極的に関わっていく部分があったと思います。その関わり方が、今までの行政は間接統治だったと思う点です。
 では、「間接統治」ってどういうことかというと、行政は障害者福祉のサービスを供給する人に補助金を出すとか指導をするとかして、その供給者が障害者に関わっていくというやり方です。
 そこでスポンと抜けていたのは、非常に簡単なことですけども、障害を持っている本人に対して、あんた、どうしたいの。あんた、どういう人生送りたいの。あなた、今日何したいの、ということを聞く努力。行政は、これをしなかったんですね。それが大きな間違いであったと思います。
 それから、もう一つ言いたいのは、差別の問題です。哀れで可哀想な障害者に何かいいことやってあげよう、というのは、これはもう差別そのものの言い方だということを、われわれは十分にわかってきました。
 しかし、行政には今でもまだ、哀れで可哀想な、宝くじが反対に当たったような、そういう不幸な人にいいことをやってあげよう、というようなことが障害福祉だと思っている人がいる。これはもう、首根っこを押さえつけても「気づき」というものをさせなければいけない。
 そうではない。人間としての尊厳、先ほどの、生きてきて良かったなぁ、という村田さんの表現はすごく胸に入ってきましたけども、それは自己実現ということですね。その自己実現というものは、必ずしも一般に言う自立ではないかもしれません。いろいろできないことはあっても、できる部分を最大限活かすことだと思います。そこに支援していくのが、行政のみならず、障害者福祉ということに関わる人たちの当然の方向性ではないかと思います。
 そこで、これまでCJFでやってきた話題とは少し別なところで、ぜひ私にも力を貸してください。私もまた実践者です、と思うのは、統合教育の問題です。障害児教育の問題について、このCJFのメンバーにも、もう一回ちょっと考えてもらいたい。本当に養護学校というものは要るんでしょうか。
 これが非常に難しいところなんです。実は私は今、わが宮城県の教育長とバトルトークに近いことをやっています。これは非常に必要なプロセスだと思っています。
 教育長は、分離教育だからと言って、差別をしているとは思っていません。普通の学校に行かせたいと思っている親御さんに言います。だって、重い障害を持った人が普通学級で授業を受けたって、何もわからないでしょう、と。それよりも生徒4人か5人に1人の先生がついて、みっちりと基礎からこの人たちのためだけに、障害に合ったようにして教え込む。これがいいということが、どうしてわからないんだろう、と。われわれが情報を持っている。知識も持っている。あんたは初めて障害児を持って戸惑っているんでしょう。だったら、私たちの言うことを聞きなさい、と。
 もう、そういうガイダンスから、正しい障害児教育だと思っています。そこから、そうでないことを気づかせなければいけないんですが、ただ、これは簡単な作業ではありません。まさに、障害を持っている人にとっての本人の望みとは何か、差別とは何なのかということを考えさせる一番のテーマですね。
 養護学校での教育のことを、「特殊教育」と言います。先ほど、「とっておきの芸術祭」の原語はスペシャル・アーツと言いましたけども、特殊教育の原語は「スペシャル・エデュケイション」ですよね。どうしてスペシャル・エデュケイションが特殊教育なんでしょうか。「特別教育」と訳すべきですね。訳した人の悪意がそこにまざまざと感じられます。
 「今日のスペシャル・ゲスト」を「特殊なお客様」と言いますか?(笑) ここに並んでいる顔ぶれを見ると、なんとなくわからないではありませんが(笑)。でも、昨日の懇親会で食べたスペシャル・ディナーイコール特殊なお料理、と言ったら、なんかヘビの丸焼きが入っていました、というような感じですよね(笑)。
 とにかく、今でも障害児教育のことを特殊教育と言っている日本において、どうやって統合教育を本当に胸にストンとくるような形で進めていくか。これは、今日来られているメンバーにとっても、私にとっても非常に大きなテーマです。これは単に教育の分野というだけではなくて、障害者とは何なのか、差別とは何なのかということに通じる問題ではないかと思います。
 最後にもう一つだけ言うと、介護保険の問題です。介護保険は、2005年を期して大きな見直しになります。今は高齢者だけが対象になっていますが、実は、介護保険ができる時、障害者を含めるかどうかが大議論になりました。紆余曲折があって、結局時間切れで入らなかったんですが、入らなかった非常に大きな原因は、障害者自身が反対したということがあります。少なくとも戸惑ったというところがあるんですね。
 東京都などでたくさんの介護手当をもらっている人の中には、介護保険に入ったら、むしろサービスが低下するのではないか、とか、高齢者に対する介護と障害者に対する介護は質が違うんだ、という主張もありました。とにかく、いろいろな価値を含むような議論があったり、技術的な問題があったりしました。
 私自身は、2005年を期して介護保険に障害者を入れるべきだという立場です。少なくとも、研究や検討は今日から始めなければいけない。今日たまたまこうやってご一緒した人には、どうだ、と勧めていくつもりですけども、みんなの問題だと思います。
 統合教育の問題と介護保険の問題。これは、CJFの目指しているものと結びついていく問題だと思います。答えはまだですけども、常に重要な方向性を示唆している今日的な課題ではないかと思っております。
竹中 ありがとうございます。最後に非常に貴重な、大きなテーマをいただきました。
ナミねぇの写真 実は、プロップ・ステーションではエデュケイションの部分が非常に重要と考えていまして、必要なことが公的な教育で得られないのであれば、自分らでやってまえと、そういう感じでやっています。
 チャレンジドが勉強するのも、チャレンジドが先生するのも、自分らで始めるから、逆に、良かったら公教育のほうでそれを取り込んでちょうだいと、そんなふうに開き直ってやっているわけです。
 そうしているうちに、大阪府の養護教育の方々との出会いがあって、今、大阪府下の養護学校を全部コンピュータ・ネットワークでつないで、プロップのチャレンジドたちが校長先生にセミナーやったり、先生方全員にアドレスを発行したりといったことをやっています。
 ですから、民の活動で最初はちっちゃくても、それを認める、求めるっていう人たちが増えてくると、必ず公の活動に広がって行くんやなぁと、NPOとしてとっても実感しています。これから各地で、そういうふうにNPOから始まったちっちゃなことが、浅野さんが最後に言われた大きなシステムが変わっていくところへグーッとつながっていけばいいなと思います。公が無理矢理というよりは、やはり、現実にこう変わったほうが、みんな生き生きするやんか、ということを知って、公の人もガラガラッと変わって行っていただくのを、私はたいへん期待をしているところです。

チャレンジドを起点に、地方行政が,そして国政が変わる

増田 残念ながら、ついに時間がきました。
竹中 来てしまいましたねぇ。
増田 話し始めるとみんな長いから。それでは最後に1人30秒ずつにしましょうか。では、木村さんから。
木村 先々週、中国へ行ったんです。大連の外国語学校の生徒と交流したんだけど、2年ぐらいしか勉強してへんのに、日本語をペラペラしゃべるんですよ。いかに熱意を持ってチャレンジしているかということですね。
 日本人は英語を6年間も勉強しているのに、片言もしゃべれない。チャレンジしてない。日本がこれからチャレンジしていくためには、チャレンジドの人たちのチャレンジをみんなが見習って、もう一回がんばろう、という気持ちを持たなかったらいけない。あんまり、ゆとり、ゆとりばっかりでは、大変なことになるなという感じを強く持ちました。
太田 私が今日一番感動したのは、村田さんのお話でした。すばらしいお話で、本当に感動しました。ああいう方々の話がいろいろなところで出てきて、それが現場の力になっていくことを心から望みたいと思います。
 チャレンジドが大いに力を発揮できて、自己実現できる環境のベースを作っていくのが行政の仕事だと思いますので、今日の村田さんの言葉を糧に、またこれから大阪に帰って一生懸命、福祉の仕事をしたいと思います。本当に今日は皆さんありがとうございました。
北川 来年のCJFは千葉県の堂本さんのところだということです。プロップの活動、チャレンジドの活動、そして「日本を地域から変える!」というこの運動が、今から千葉大会までの1年の間に、本当に地域でいろいろな実験をし、実行をし、その声が国に通じて、国が思い切り変わるということが、きっと起きると思います。これはたぶん福祉政策の大転換ですから、いっぱい障害や抵抗があると思いますけれども、今日がこれからまた頑張ってやっていく一里塚になればなと、そんなこと思わせていただきました。ありがとうございました。
浅野 私は、昨日は懇親会だけでしたけども、昨日、今日と2日間出ていました。今日も会場には熱心な方々がこうやってずーっと来られている。私は、この雰囲気も大好きです。一人ひとりの思いというものが、お話ししなくても伝わってくるような感じがして、私はここに身を置いてたいへん嬉しい。満足なんです。なんで知事なんかになっちまったのかなぁ、というのが本音なんですね。
 皆さんのところへ、必ず戻ってきます。この世界に戻ってきます。早いうちかもしれません。どうか、お見知りおき、知らないふりしないように、引き続き遊んでいただくように、この場を借りてお願いを申し上げます。
増田 それでは、最後に私のほうから。
 昨日の最後のセッションで、大信田さん、八角さん、高橋さんが竹中さんと一緒に出られたのを聞いていて、ぼくは、岩手の人たちって本当に力強いなと、改めて思いました。先ほどの村田さんのお話を聞いた時もそうでした。
増田知事の写真 八角さんの言葉にありましたね。岩手は進んでいるとは言えないけれども、その分、これから発展の速度を楽しめます、ということでした。政治家というのは、わかりやすい言葉でみんなに気持ちとかを理解させなければいけないんですが、もし、あの人と選挙をやったら絶対負けるなと思いました(笑)。あの、別に次の選挙に出るかどうかは何も言ってませんですけれども(笑)、八角さんが出たら私はたぶん難しいなという気がしましたね。
 ぼくは今日午前中いなかったんですが、浜四津敏子さんが来られて挨拶をされたということです。竹中さんは、プロップ・ステーションやCJFの活動を、手作りで本当に幹太く、力強く広げて来られましたけど、最近は野田聖子さんとか浜四津さんとか、そういう国政の場にいる人たちとも密接に連携を取っています。
 言いっぱなしではなく、また地方自治体の範囲だけではなく、国政の中にも反映させるネットワークを持っていることが、CJFなどの活動を、またさらに力強くさせていると思います。たいへん素晴らしいことであるし、その一つをこの岩手で開催できたことを、嬉しく思っています。
 このフォーラムは、皆さん方の力によって開催することができたわけですけれども、こういうものができたということをたいへん嬉しく思っています。また、これを機会に、官民一体となった取り組みやチャレンジド自立に向けた施策を加速させていかなければといけないと思っています。
 最後になりますが、いつも御礼と感謝の言葉しか言わないので本当にすみませんけど、実行委員長の村田さんをはじめ、県内で一生懸命CJF開催のために手作りで取り組んで来られた皆さん方に、心から感謝を申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。


増田知事とナミねぇの写真聴衆の写真壇上のパネリストの写真